続・猫じゃ猫じゃと食っちゃいま すが

  • 2015-07-13 ( Mon ) 09:20
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 中島敦の未完の習作『D市七月叙景(一)』(ちくま文庫版中島敦全集 第一巻所収)を読んでいたら、支那の大連界隈を舞台にしたこの小説の中で、猫をさばいて食肉にする場面が出てきて、おおっ、と思う。
 
 興味深かったのでその場面を全文引用。

 二人のすぐ前に見える料理場では、今、俎板の上に殺された計りの猫の死骸が乗って居た。(猫と雖も此の界隈では珍重すべき食糧であった)
 料理人は先ず猫の頸のあたりの動脈を切開いた。血が勢いよく迸り出た。それから彼は、その血だらけの猫の腹を巧妙な手つきで揉み初めた。そして一とおり血を側の桶の中に絞り出して了うと、今度は廚刀の先端を猫の下顎に入れて、それをグーッと腹部から尻尾まで切り下げて、肉片のついた尾骨を叩き斬り、かえす刀で、皮と肉との間を二三度器用な廚刀を入れるともう、カバカバの皮と真っ赤な肉片とに分れて了った。それから四肢の関節を外し、胸壁の中に指を入れて、肺臓をえぐり出して、腸と一緒に、それを桶の中に投げ込んでから、水で一洗いすると、既に立派な食用肉が出来上がって居るのであった。

 もっともこのエピソードの登場人物は、その光景を眺めながら酒を飲んでいるだけで、後でこの猫肉をめぐるひと騒動なんかもあるんだけどその肉を食べる場面はなく、この肉がどのように料理されどんな味がするのかまでは書かれていないのだが、ここまで詳細に描写しているということは、中島敦は猫が捌かれる場面を見たことがあるか、猫肉の捌き方について詳しく書かれた資料を読んでいたかということなのだろうか。
 この習作が発表されたのは昭和五年で、年譜を見たら、それ以前に父の仕事の関係で朝鮮に住んでいたことがあるらしいが、朝鮮でも猫は食べられていたのだろうか。もっともウィキの「猫食文化」の項には、「朝鮮に猫食文化はなかったが、茹で肉から神経痛や関節炎に効く強壮剤がつくられた」とあるのだが、朝鮮にだって中華料理を出している支那人くらいはいただろうし、そうでなくても漢学の家系で生まれ育った人だから、漢文資料には幼いころから馴染んではいただろうし。

 ついこの前、佐藤垢石のエッセイに猫肉の話を見つけて驚いたばかりだというのに()、一度ぶつかるといろんな情報が引っかかってくるものだなあ。

 それはそうと、この全集の第一巻には中島敦の歌稿なんかも収録されていて、読んでいたら中島敦が「ポパイ」(あの漫画のやつね)について歌っている歌があってちょっと笑った。
 これも面白いので全部引用。※( )内は本文に振ってある振り仮名

    菠薐草(スピネッヂ)の歌
 早口のポパイが渋き濁声(だみごえ)を土曜の午後に聞けば楽しき
 老水夫ポパイが躍るシュトラウスのワルツ阿修羅(あしゅら)の如くなりけり
 ジャングルにポパイが象の鼻をつかみ麻幹(をがら)の如く振り廻しけり
 打ちのめされてやをら取出す菠薐草俄然ポパイは力充ち満つ
 スクリィンの漫画消えつゝ響くなる“I am Popye,the
sailor-man”(アイ・アム・ポパイ・ザ・セイラア・マン)
 

 うーん、高校では『山月記』教えるついでにこういうのも教えれば、生徒もずっと文学に興味を持つようになるんじゃないかと思うんだが(笑)

 おまけの一行知識:
 中島敦は『宝島』や『ジキルとハイド』で有名なロバート・ルイス・スティーヴンソンを主人公にした小説も書いているが、そのスティーブンソンは吉田松陰の伝記を書いている。

例えば、この記事を書いたのはこんな人

タグ: 中島敦 the sailor-man スピネッヂ スクリィン i am popye

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