負けず嫌いのスケーター
- 2015-07-25 ( Sat ) 02:21
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- 投稿者:
- ota
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- 表示回数
- 274
昨日26日付けの「ほぼ日」の「今日のダーリン」を
まるっと引用させてもらう。
------------
・なんでもかんでもとにかく勝ちたい、という人がいる。
「ぼくは負けず嫌いなので」という言いかたも、
だいたいは得意そうに聞こえるものだ。
それは、たぶんありあまる情熱を感じさせるからだろう。
ぼくも、多少は負けず嫌いだったと思うし、
友人やら知りあいのなかに、
自他共に認める負けず嫌いもたくさんいる。
現役の負けず嫌いをやってる人には、
「勝ちと負けに、すべてが分けられるものじゃない」
という、それだけのことが、なかなかわからない。
「よくよく考えれば、あらゆるものに勝ち負けはある」
という考えを持っている。
「ピカソとゴッホと、勝ち負けは決められないだろう?」
などと言われても、たとえば、
「ピカソもゴッホも値段がついてますよね。
どっちも同じ値段っていうことはないでしょう。
だったら、どっちかが勝ちで、どっちかが負けです」
などという理屈を言ってきそうだ。
たしかに、アイススケートとかでも、
どれも美しい、どの人も見事だとも言えるけれど、
その「どれも」のなかから金メダルが決まっている。
そこには、勝ち負けがあるということになる。
しかし、それは、競技としてのスケートなので、
そういう分けかたもできる、ということである。
勝ったスケーターだけが美しいということではない。
・なんでも勝ちと負けとに分けたがる人よりも、
もっと始末がわるいのは、
なんでも「敵と味方」に分けたがる人だと思う。
「敵」と決めたら、もうその相手が
なにを言ってようがなにをやってようが、
「敵」のすることだから認めてはいけないのだ。
逆に「味方」のやることは、まちがっていても、
ルールに違反していてもなんとかごまかしたい。
「あいつは敵だ。敵を倒せ」という理屈は、
抜け出すことのむつかしい泥沼をつくっていく。
「敵」が生きのびるようなことはやってはいけないし、
「敵」の出してくる正しさは、絶対に認めない‥‥
何万年の人類の歴史があってもこのくり返しは続いてる。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
とにかく、なんでも二つの対立にする考えはよくないよな。
------------
この文章全体の趣旨も「うん、そうだよね」と思うけれど
それはそれとして
「負けず嫌い」というと私の場合もうあのひとしか浮かんでこなくて。
ましてや「アイススケート」の話なんか引き合いに出されると
ますますあのひとのことしか浮かんでこなくて。
そうもちろん羽生結弦くんのことだ。
アマチュア競技としてのフィギュアスケートは
競技だから勝ち負けがあるよ。
で、羽生くんはとても負けず嫌いだし
競技としてのフィギュアスケートを見た場合
現行ルールが極端に変わったりしない限りは
現在の現役の男子シングル選手の中では
実質最強だと思うし、なおかつポテンシャルも大きいと思う。
でも確かに「勝ったスケーターだけが美しいということではない」んだよな。
試合ごとに、1位になれる選手は一人だけだけど
美しい演技と感じる選手は他にもいるんだな。
で、美しいと感じるかどうかは好みにも関わってくるから
どんな選手のどんな演技を美しいと感じるかは
本当に人それぞれだよね。
それでいいと思うんだ。
ただ、私個人は「演技の美しさ」という観点からも
やっぱり羽生くんの生み出すそれが、一番好きだ。
羽生くんは確かに「競技者として強い」選手ではあるけれど
そこが大きな魅力であることは間違いないけれど
ファンとしての私の中の比重は
「競技者として強い羽生くん<私の好きな美しい演技をする羽生くん」
だなあと感じる。
でも羽生くんの負けず嫌いと羽生くんの生み出す美は
決して無関係ではないから、そこが面白いところなんだけどね。
*******
引用した文章の後半にあるような
「敵味方に分けたがる人」はたしかにやっかいだなあと思う。
試合でせめぎあうスケート選手どうしは
でも、リンクを降りれば人間として敵味方ってことはおそらくないんじゃないかと思うんだけど
一部ファンどうしがなんか妙な敵対関係を作り出してしまってたりするのは
悲しいなあ、と思っていたりする。
それ以外にも、いろんなところで、いろんなレベルで
人間って「敵」「味方」のレッテルを貼りたがる性質みたいなものってあるよね。
そのへんのことについていろいろいろいろ考えちゃうけれど
それ書いていると長くなるからここではよしておく。
ただ、私も「許せん」「理解できん」とか思う対象
つまりはついつい「敵視」してしまうような対象がないわけではないけれど
というか、その点ではむしろ、かなり腹黒い方かもしれんと思っているくらいだけれど
「正義の戦争より腹黒い平和」でやってゆきたいな、と
そんなことを思っている。
例えば、この記事を書いたのはこんな人
タグ:フィギュアスケート アイススケート 勝ち負け 羽生くん フィギュアスケート スケーター
まるっと引用させてもらう。
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・なんでもかんでもとにかく勝ちたい、という人がいる。
「ぼくは負けず嫌いなので」という言いかたも、
だいたいは得意そうに聞こえるものだ。
それは、たぶんありあまる情熱を感じさせるからだろう。
ぼくも、多少は負けず嫌いだったと思うし、
友人やら知りあいのなかに、
自他共に認める負けず嫌いもたくさんいる。
現役の負けず嫌いをやってる人には、
「勝ちと負けに、すべてが分けられるものじゃない」
という、それだけのことが、なかなかわからない。
「よくよく考えれば、あらゆるものに勝ち負けはある」
という考えを持っている。
「ピカソとゴッホと、勝ち負けは決められないだろう?」
などと言われても、たとえば、
「ピカソもゴッホも値段がついてますよね。
どっちも同じ値段っていうことはないでしょう。
だったら、どっちかが勝ちで、どっちかが負けです」
などという理屈を言ってきそうだ。
たしかに、アイススケートとかでも、
どれも美しい、どの人も見事だとも言えるけれど、
その「どれも」のなかから金メダルが決まっている。
そこには、勝ち負けがあるということになる。
しかし、それは、競技としてのスケートなので、
そういう分けかたもできる、ということである。
勝ったスケーターだけが美しいということではない。
・なんでも勝ちと負けとに分けたがる人よりも、
もっと始末がわるいのは、
なんでも「敵と味方」に分けたがる人だと思う。
「敵」と決めたら、もうその相手が
なにを言ってようがなにをやってようが、
「敵」のすることだから認めてはいけないのだ。
逆に「味方」のやることは、まちがっていても、
ルールに違反していてもなんとかごまかしたい。
「あいつは敵だ。敵を倒せ」という理屈は、
抜け出すことのむつかしい泥沼をつくっていく。
「敵」が生きのびるようなことはやってはいけないし、
「敵」の出してくる正しさは、絶対に認めない‥‥
何万年の人類の歴史があってもこのくり返しは続いてる。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
とにかく、なんでも二つの対立にする考えはよくないよな。
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この文章全体の趣旨も「うん、そうだよね」と思うけれど
それはそれとして
「負けず嫌い」というと私の場合もうあのひとしか浮かんでこなくて。
ましてや「アイススケート」の話なんか引き合いに出されると
ますますあのひとのことしか浮かんでこなくて。
そうもちろん羽生結弦くんのことだ。
アマチュア競技としてのフィギュアスケートは
競技だから勝ち負けがあるよ。
で、羽生くんはとても負けず嫌いだし
競技としてのフィギュアスケートを見た場合
現行ルールが極端に変わったりしない限りは
現在の現役の男子シングル選手の中では
実質最強だと思うし、なおかつポテンシャルも大きいと思う。
でも確かに「勝ったスケーターだけが美しいということではない」んだよな。
試合ごとに、1位になれる選手は一人だけだけど
美しい演技と感じる選手は他にもいるんだな。
で、美しいと感じるかどうかは好みにも関わってくるから
どんな選手のどんな演技を美しいと感じるかは
本当に人それぞれだよね。
それでいいと思うんだ。
ただ、私個人は「演技の美しさ」という観点からも
やっぱり羽生くんの生み出すそれが、一番好きだ。
羽生くんは確かに「競技者として強い」選手ではあるけれど
そこが大きな魅力であることは間違いないけれど
ファンとしての私の中の比重は
「競技者として強い羽生くん<私の好きな美しい演技をする羽生くん」
だなあと感じる。
でも羽生くんの負けず嫌いと羽生くんの生み出す美は
決して無関係ではないから、そこが面白いところなんだけどね。
*******
引用した文章の後半にあるような
「敵味方に分けたがる人」はたしかにやっかいだなあと思う。
試合でせめぎあうスケート選手どうしは
でも、リンクを降りれば人間として敵味方ってことはおそらくないんじゃないかと思うんだけど
一部ファンどうしがなんか妙な敵対関係を作り出してしまってたりするのは
悲しいなあ、と思っていたりする。
それ以外にも、いろんなところで、いろんなレベルで
人間って「敵」「味方」のレッテルを貼りたがる性質みたいなものってあるよね。
そのへんのことについていろいろいろいろ考えちゃうけれど
それ書いていると長くなるからここではよしておく。
ただ、私も「許せん」「理解できん」とか思う対象
つまりはついつい「敵視」してしまうような対象がないわけではないけれど
というか、その点ではむしろ、かなり腹黒い方かもしれんと思っているくらいだけれど
「正義の戦争より腹黒い平和」でやってゆきたいな、と
そんなことを思っている。
例えば、この記事を書いたのはこんな人
タグ:フィギュアスケート アイススケート 勝ち負け 羽生くん フィギュアスケート スケーター
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